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[日本の対外政策と東アフリカ]
日本の国家レベルの対外政策は1990年前後から本質的な変貌を遂げつつあり、その戦略的方向性は「外交政策」および「対外経済政策」に端的に表れています。すなわち、「外交政策」について言えば、中国を始めとするアジア諸国やアフリカ諸国に対する積極的な働きかけが目立つようになったということであり、「対外経済政策」について言えば、主たる関心が「輸出を強く意識した貿易均衡」から「労働力の確保を目的とした海外進出」に移り、更に「海外市場の拡大を意図した経済交流」になりつつあるということです。これらの政策は、国際社会における日本の立場と表裏一体をなしているため、日本がそのような政策を推進する上において、相手国との「親日的関係」を必要とする度合いは年々切実なものになってきています。
このような状況の中で、近年、日本政府内において、アフリカ諸国は「長期的な支持を得るべき国々」としての位置付けが確実に高まりつつあります。本年3月に皇太子殿下がガーナおよびケニアを公式訪問されたことは、日本の国家戦略の方向性を示す象徴的な出来事であったと見るべきでありましょう。特に、東アフリカは「欧州共同体」(EU)を模した「東アフリカ共同体」(EAC)の構築を目指しており、現在、既にケニア・タンザニア・ウガンダ・ルワンダ・ブルンジの5カ国の間で共同市場を発足させようとしていますが、今後更に参加国が増え、将来的には中央アフリカの数カ国も含め20カ国近くになるとも予測されていますので、日本にとっては「東アフリカとの交流活動」の国家的重要度が益々高まっていると思われます。
[東アフリカにおけるケニアの位置]
「東アフリカ共同体」(EAC)の機構本部は、現在、タンザニアのアルーシャ市に置かれていますが、実質的な基幹国がケニアであることは衆目の一致するところです。それは、ケニアが東アフリカの「空の玄関口」と言われるナイロビ空港と「海の玄関口」と言われるモンバサ港を持ち、今後の大きな経済成長が見込まれているからですが、加えて本年3月東アフリカ最初の光ファイバーがモンバサ港に到達したことにより、今後、周辺諸国の情報環境はケニアを中心として急速に整備されるものと予想されています。
ケニアは、1963年にイギリスから王国として独立、1964年に大統領制の共和国へ移行しましたが、それ以降、2007年に大統領選挙を廻る混乱はあったものの、アフリカ諸国の中にあっては比較的安定した政情が保たれてきています。このような事情により、イギリスを始めとする西欧諸国やアラブ首長国連邦などの中近東諸国とは、歴史的にも経済的にも緊密な関係を維持していますが、近年は、他のアフリカ諸国同様、中国が急接近しています。
[東アフリカとの通商姿勢]
過去数年にわたってケニアの現状や対外姿勢を具に観察してきましたが、日本がケニアとの友好関係を深めていこうとする場合、特に留意すべき点が二つあると思われます。すなわち、一つは、従来の関係は大半がODA(政府開発援助、Official Development Assistance)に代表されるような国家間の「公的関係」を基にしたものであり、「民的関係」とも言うべき私企業の商取引等は極めて小さな規模に留まっていたことです。そして、今一つは、官界・財界を問わず、指導的な立場の人間(あるいは、実質的な決定権限を持つ運営責任者や管理責任者)の世代交代が急速に進みつつあることです。
このような事情は、今後、日本の企業が、ケニアおよびケニアを中心とする東アフリカ諸国を舞台として通商活動を含む諸事業を展開しようとする場合、「新たな方式」と「新たな人脈」が不可欠であることを意味しています。
例えば、かつては「有力者に贈賄等の裏工作を施して事業に関わる権利を獲得する」ことが常道とされてきましたが、近年では「情報化の進展に伴う取引過程の透明化」が容易になったことや「海外留学を経た知的水準の高い若手」が指導的な立場になったことにより、旧態依然とした「ボスの不正」は社会的に困難になってきています。
また、先進国の相次ぐバブル経済の崩壊を教訓とし、長期的視野で事業評価をするようになってきたため、ケニアにおいても「信頼関係に基づく長期的な継続性を重視する」という「本来の日本的な経営哲学」が見直されつつあると思われます。従って、東アフリカとの通商活動を通し、ケニアおよびその周辺諸国の「若手の実力者」と堅固な信頼関係を構築していくことは、必ず日本の国益に適うものと確信します。